絶望の避難訓練 2013/08/19

暑っいですねぇ!

盆が明けて少しは落ち着くかな?と思っているんですけど、微妙に高値安定で汗がほとばしる今日この頃、あなたはいかがお過ごしでしょうか?

一般社団法人 平和戦略会議 議長 安久鉃兵 です。

やすひさは、少しだけ休んだのですがやはり走り回っておりました。

それが好きなんですね。どうやら。
まあ、走れるだけ走り回りますよ^^

秋口にでもお休みを取ろうと思います。美味しいものが多くなりますからね^^


さてさて、今日は色々お伝えしたいことがいっぱいあるので、何をお伝えするかと思案しているのですが…

爽やかな朝とは相反する、【絶望】のメッセージをお伝えしますね。


あなたは絶望というと、どういうことを想像するでしょうか?

やすひさは一番最初に思いつくのは「死に至る病」、19世紀の哲学者キルケゴールの名著ですね。

キルケゴールの哲学は…

> キェルケゴールの哲学がそれまでの哲学者が求めてきたものと違い、また彼が実存主
> 義の先駆けないし創始者と一般的に評価されているのも、彼が一般・抽象的な概念と
> しての人間ではなく、彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を
> 哲学の対象としていることが根底にある。
> 「死に至る病とは絶望のことである」といい、現実世界でどのような可能性や理想を
> 追求しようと<死>によってもたらされる絶望を回避できないと考え、そして神によ
> る救済の可能性のみが信じられるとした。これは従来のキリスト教の、信じることに
> よって救われるという信仰とは異質であり、また世界や歴史全体を記述しようとした
> ヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質
> があるという見方を示したことが画期的であった。
(出典 wikipedia セーレン・キェルケゴール より)

カンタンにいうと(笑)、死ぬこと(絶望)はどうしようもなくて、神様への信仰がその絶望を超えられるかもしれないって感じの哲学です(笑)

細かい詳細は諸々あるのですが、まあそんなところなんですね。(研究者の方、極論お許し下さい)

あ、すみません。哲学の話になっってきちゃった。

やすひさは中学生の時、死ぬのが怖くて怖くて、突詰める性格もあって、人間は何故死ぬのか?を突詰まくって、人間はなぜ生きるのかと同義であることを悟り、どう生きるかを考えまくってたりして今に至ってるんですね。
なので、哲学、倫理学、宗教関連のことは、大抵の人より突き詰めていて、そこが引き出しの根本になってたりもします。

でも、結局過去の哲学者も時代によって言う事や捉え方を変えざるを得ないし、やすひさ的には多角的でOKということで、自分の中に取り込んで咀嚼して出てきたものしか採用していないので、過去の誰それがどうとかって話は普段はあまりしないと思うのですが、最初の取っ掛かりだった「絶望」と「死」についてだったので、ついこちらの話しになりました^^;


まあ、それは良しとして…


「絶望」とは、「望み」が「絶たれる」と書きます。

そういう状態ですよね。

自分が打てるだけの手を打ち、持てる考えを全てぶつけ、それでもどうしようもない状態です。


大抵こういう時は、「死」が見え隠れします。

少なくともやすひさの経験上、絶望は死に至る病であると確信しています。


こういう時は、客観的に見て冷静な判断はまずできません。

自らが袋小路へ突入していくわけです。

不幸を自ら背負い込んで行こうとします。

周りの人たちは大いに心配しますが、自分から暗黒面へ突っ込んでいくので、どんな助言もどんな抑止も振り切って暗黒面へ突っ込んでいきます。

最終的には死ぬわけです。(色々な意味での死へ繋がります)


こういう状態って、あなたには訪れないと思います?

大抵の人は「絶対に訪れない!」って胸を張って言います。

でも、やすひさは必ず訪れないとは言えないと思っています。
もっと言うと、いつか必ず訪れると思っています。


基本的には、自らがそちらへ勝手に行くことはありません。

外的要因からのみ、暗黒面へ進み始めます。

例えば、人間関係もそうですし、ストレスを常に感じる環境などもそうです。
ガンの宣告を受けるというのも、同じです。

ガンは自らの体内で勝手に進むじゃないか!という人もいると思いますが、これは外的要因と捉えらえます。

知らずにいたら絶望はしません。
薄々感づくかもしれませんが、その状況で良い方に捉えるしか選択肢がないんです。

人の口など外部から知らされて初めて絶望します。


外から何かを発せられて、自らの内に心だったり体だったりへ大きく影響を及ぼします。

絶望するんです。


そういう時は、やはり自分で自分をコントロールすることはできないと思います。
よっぽど経験を積んで、強靭な心を持っている人であれば別ですが、どんなにすごい人でも時間に長短はあるかも知れませんが、コントロールを失うと思います。

で、あれこれやったり考えたりしてどツボにはまって行くんですよ。


こういう時、あなたならどうしますか?


やすひさはいくつかの大きな失敗と死への突詰めによって、これが答えなんじゃないかな?という考えに至っています。

それは…


 

 思 考 停 止





したままでいいですと言う事です(笑)

これだと乱暴なので、もうちょっと詳しく説明しますと…


知識や経験がない人は、そのまま途方に暮れて動けなくなると思います。
知識や経験がある人は、とりあえずやれる選択肢をいくつか出すと思います。

ない人は、そのままOKです。
ある人は、そのいくつかの選択肢を出すところまではOKで、そのまま途方に暮れておいて欲しいんです。
思考停止のまま。

で、自分が最も信用できる人に相談するんです。

自分は正確な判断ができません。
誰が信じられて、誰を信じちゃいけないのかすら判断できません。
もちろん、自分も信じられるかわからない状態だと思ってください。

それが絶望の状態です。

あ、信用出来るように思えるんですよ。少なくとも自分は。
でも、その判断は大体ワナです。

なので、自分が最も信用できる人に相談するんです。
それも、(自分の中で)歴史と信用のある人にですよ。
最近会ったぽっと出の人では絶対にダメ!
長い付き合いのある歴史とそこで自分とどうかかわってくれたかというところですよ。

なぜならば、近過去の絶望していない状態で最も信用できる人だと判断した自分、その自分なら信頼できるハズだからです。


もうね、自分で判断することを放棄するんです。

なぜかって?


そりゃ絶望しているからですよ(笑)


イイんですよ。その人に頼ったって。

そこで離れるならさらに絶望を彷徨うかもしれませんが、なんか知らないけどその人じゃない他の人に助けられて生かされていることが分りますから。

そこで離れず共に進めるのであれば、やはり間違いなかったという証明になったりします。



やすひさは、いつ絶望しても良いように(笑)、なるべく欲のレベルを下げるようにしていますし、その時頼る人を何人か予め決めていたりします(笑)

絶望した時に備えて、避難訓練をしていたりするわけですね(笑)



悲観的に捉える必要は全くありませんが、誰しも絶望のそばを歩いているコトをきちんと押さえておいて、
好きなコトをし続ける生き方が、より生き生きと生きること、輝きを増すことに繋がる気がします。


朝は軽い朝食の予定が、いきなりコッテリの唐揚げ大盛りみたいになってすみません(笑)


今週も唐揚げ食べて元気に行きましょう!





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